自分の感受性くらい

10代後半のころ、二人の兄の影響でゲームをよくしていました。

といっても、とろくさい私はアクションゲームは苦手で、

もっぱらRPGやアドベンチャー専門でした。


好きだったのは…メガテンシリーズ、魔人学園シリーズ、

アトリエシリーズ…わかるひといるかしら?


主人はいまだにどっぷりゲームしますが、

(それでも、RPGをじっくりする気は萎えてきたみたい。)

私は、今はゲームが全くできません。


出来ない、というのは物理的に無理というのではなくて、

精神的に無理、ということです。

なんか退屈になってしまったのです。


ゲームだけに集中できなくて、別の現実世界のあれこれがうかんで、なんだか落ち着いてやってられないのです…。

昔は、ゲームをしていないときも、寝る前とか、主人公になりきってどっぷり妄想していたのに…。


まさに感受性がなくなった、という気がしてなりません。

(まあ別にゲームはできなくていいんですけれども)


そういう時、思い出す詩があります。


ーここから引用

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心を

ひとのせいにはするな

みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを

友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを 近親のせいにはするな

なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな

そもそもが ひよわな志しにすぎなかった


駄目なことの一切を 時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい 自分で守れ

ばかものよ


ー引用ここまで

出典「倚りかからず」茨木のり子


すべての段落が、心に突き刺さります。

学生のころ、詩集が好きで、お小遣いをためては買っていました。

これもその一つ。

あのころは、感受性にあふれていたなぁ。


あの頃の友人に年賀状を送っても帰ってこなくなった。

でも、最初に一年とばしたのは私だった。

愚痴ばかり口にする年取った母がいやになる

今までいっぱい聞いてもらったのに。

時々何もかも捨てたくなることがある。

最初に欲しがったのは私なのに。


突き刺さる…。

ちなみにこの本、表題の詩もいいんです。

上の詩で落ち込んだあとは、この詩を読んで元気出します。


ー引用ここから

倚(よ)りかからず


もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある


倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

ー引用ここまで


茨木さんはこの詩を書いたとき73歳とのこと。

現在アラフォーのわたくし。

あと30年そこそこで、この境地に到れるかしら。


確かこの本を買ったのは17歳の時。

あの時、この詩を読んで、

私も何にも倚りかからなくて大丈夫だと思った。

怖いものを知らなかった若いころと、

怖いものをいっぱい通り過ぎてからの老年に思う思いと、

同じだけど全然違うのだろう。

たとえば、60年たって暦が一巡するように。


暮らしを彩るハンドメイドアクセサリー

ハンドメイドでアクセサリーを作るようになって4年ほどになります。 アクセサリーを作るようになり、日々が少し彩り豊かになった気がします。 今はハンドメイド販売サイトで自分のお店をもっています。 ここでは販売サイトに書ききれない、 製作にいたる思いやこだわりなどをご紹介しています。

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